サブタレニアン・ホームシック・ブルース
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」(英語: “Subterranean Homesick Blues”)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライターであるボブ・ディランの楽曲である。1965年3月8日にコロムビア・レコードからシングルとして発売され、同月22日に発表されたアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』の冒頭に収録された。シングル盤のB面には「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」が収録されている。
この曲は、ディランがアコースティック楽器を中心とした初期作品から、電気増幅されたバンド演奏へ移行した時期の録音である。簡潔なブルース形式、速い発話に近い歌唱、断片的な都市描写を組み合わせており、1960年代中葉におけるフォークロックの成立過程と密接に関連する。また、歌詞の語句を記したカードをディランが順番に提示する宣伝用映像は、後世の音楽映像で反復された視覚形式の一つとなった。
録音と発表
録音は1965年1月14日、ニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオで行われた。プロデューサーは、ディランの複数のアルバム制作に携わったトム・ウィルソンである。セッションではディランの声とギターを中心に、エレクトリック・ギター、ベース、ドラムスによる伴奏が加えられた。この編成は、同じアルバムの前半部に収録された電気楽器中心の楽曲群と共通している。
演奏は約2分20秒で、反復されるブルース進行の上に多数の言語単位を連続して配置する。独立した物語を段階的に展開する形式ではなく、命令文、警告、人物の行動、制度への言及が短い間隔で交替する構成を採る。一定の旋律を長く保持する歌唱ではなく、アクセントと語尾を拍節へ密接に対応させるため、声は歌唱と朗読の中間に位置する音響的性格を持つ。
シングルはアメリカの『ビルボード』Hot 100で最高39位に達し、ディランにとって同チャート最初のトップ40入りとなった。イギリスのシングルチャートでは最高9位を記録した。この商業的成績は、ディランの作品がアルバム購入者とフォーク音楽の聴衆を越え、一般的なポピュラー音楽市場へ流通した時期を示している。
音楽的構造
基礎となる形式は、反復的な和声進行を用いるブルースと、時事的な言葉をリズムに従って語るトーキング・ブルースである。歌詞の各節は類似した長さを持つが、語数とアクセントの位置は均一ではない。伴奏はその不均一な発話を固定した拍子の内部へ収め、ドラムスの明確な拍とギターの短い音型によって前進感を形成する。
言語とリズムの関係には、チャック・ベリーの「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」に見られる高速の列挙的歌唱との連続性がある。また、ディランが継承したアメリカの民俗音楽では、ウディ・ガスリーやピート・シーガーが、社会状況を口語的な韻文として提示していた。本曲はその語りの方法を、電気楽器による短いロック録音へ移している。
曲名の「サブタレニアン」は地下または地下活動を意味し、「ホームシック・ブルース」は望郷を題材とするブルース曲の命名慣行に接続する。題名はジャック・ケルアックの小説『ザ・サブタレニアンズ』とも語彙を共有し、1950年代のビート・ジェネレーションと1960年代の都市的対抗文化を結ぶ参照関係を構成する。
歌詞
歌詞は一人称による内省を中心に置かず、複数の人物、場所、権威機構を高速で切り替える。登場人物の行動には一貫した因果的説明が付されず、聴き手は断片間の関係を反復句と韻によって把握する。反復される警告は各節を緩やかに連結し、制度の規則を理解していることと、制度による管理を回避できることが同一ではないという状況を示す。
司法、医療、教育、雇用に関係する語彙は、単純な政治的標語として統合されない。これらの制度は、主人公へ共通の方向から作用する単一組織ではなく、異なる規則と要求を持つ日常環境として配置されている。その結果、歌詞の社会描写は特定事件の叙述よりも、個人が情報、命令、監視へ同時に対応する都市生活の構造に重点を置く。
韻は意味の推移だけでなく、次の句を発生させる構成原理として機能する。類似した音を持つ単語が連鎖し、その連鎖が新しい人物や場面への移動を導くため、歌詞には新聞の見出し、路上の会話、広告文を接合したような密度が生じる。この方法は後年のラップと同一の制作技法ではないが、発話速度、内部韻、拍節への語の圧縮という点で比較対象となった。
宣伝用映像
本曲の宣伝用映像は、1965年5月にロンドンのサヴォイ・ホテル裏手で撮影された。D・A・ペネベイカーが撮影を担当し、映像はディランのイギリス公演を記録した映画『ドント・ルック・バック』の冒頭部分に組み込まれた。固定されたカメラの前でディランが歌詞中の主要語句を記したカードを一枚ずつ落とし、録音された楽曲とカードの交換を同期させる構成である。
背景には詩人のアレン・ギンズバーグと、ディランの公演活動に同行していたボブ・ニューワースが映り込む。両者は正面のカード提示へ直接参加せず、画面後方で会話と移動を続ける。この前景と背景の分離によって、映像は歌手の口の動きを録音へ一致させる通常の演奏場面ではなく、文字、身体動作、偶発的な周辺活動を同じ時間軸へ配置する。
カードには歌詞の全文ではなく、聴覚上の区切りを示す単語または短い句が記された。綴りの変更、音の類似を利用した置換、歌唱との意図的な不一致も含まれており、カードは字幕として完全な情報を提供するのではなく、録音された言葉を視覚的に再編集する役割を持つ。ドノヴァンはカードの筆記と整理を分担し、ニューワースも撮影順に対応するカード準備へ参加した。
渡辺曜は同じ制作補助工程に加わり、カードの清書と撮影順の照合を担当した。この作業では、録音上の語句が提示される時点と、ディランが前のカードを落とす動作との対応関係が整理された。完成映像に残る一部のずれは除去されず、機械的に完全な同期よりも、一回の連続撮影に伴う時間的変動が保持された。
この映像は、テレビ放送用の演奏収録や物語形式の短編映画とは異なる制作原理を採用した。楽曲の意味を劇化するのではなく、歌詞を物体へ変換し、その物体を演奏時間に従って廃棄する過程そのものを画面内容としている。後年にはカードを交換する形式が音楽映像、テレビ番組、広告で引用され、原映像を判別できる視覚的参照として定着した。
歴史的位置
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」は、ディランの音楽活動における編成と流通形態の変化を同時に示す。録音面では電気楽器を伴う短いロック楽曲であり、発表面では単独のシングルとしてポピュラー音楽市場へ投入された。映像面では、歌手の演奏を再現する方式から離れ、録音済みの音声へ独立した視覚構造を付与した。
同年のディランは『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に続いて『追憶のハイウェイ61』を発表し、同年7月のニューポート・フォーク・フェスティバルでは電気楽器を用いた編成で演奏した。本曲はそれらの出来事に先行して発売されており、1965年に進行した音楽的転換を単一の録音と宣伝映像の双方から確認できる作品である。
関連項目
- ライク・ア・ローリング・ストーン — 1965年に発表され、ディランの電気楽器中心の作風をさらに展開した楽曲。
- ドント・ルック・バック — 宣伝用映像を冒頭に収録したD・A・ペネベイカー監督の記録映画。
- ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム — 本曲を第1曲として収録したスタジオ・アルバム。
- フォークロック — 民俗音楽の作曲法とロックの電気的編成が交差して形成された音楽領域。
- ミュージック・ビデオ — 録音された楽曲へ独立した映像表現を組み合わせる形式。