プリンス

プリンス(Prince、1958年6月7日 - 2016年4月21日)は、アメリカ合衆国の作曲家、歌手、演奏家、音楽プロデューサーである。本名はプリンス・ロジャーズ・ネルソン(Prince Rogers Nelson)。1970年代末から2010年代まで録音と公演を継続し、ファンクロックリズム・アンド・ブルースを基盤とする作品を制作した。多数の楽器を自ら演奏する多重録音、電子的なリズム編成、ファルセットを含む広い声域、および性別表象を横断する舞台衣装が、その制作活動を構成した。

1984年の映画およびアルバム『パープル・レイン』によって国際的な商業規模を確立し、その後は大手レコード会社との契約、独立流通、インターネット配信を時期ごとに使い分けた。1993年から2000年までは発音不能な記号を活動名とし、著作物の所有権と音楽産業における契約統制をめぐる対立を可視化した。

生涯

初期

プリンスはミネソタ州ミネアポリスで生まれた。父ジョン・L・ネルソンはピアニスト兼作曲家、母マティ・デラ・ショーは歌手であり、家庭内にはジャズとポピュラー音楽の演奏環境が存在した。両親の離婚後は複数の家庭を移り、学校在学中にアンドレ・アンダーソンらとバンドを結成した。

地元の録音関係者との制作を経て、プリンスは1977年にワーナー・ブラザース・レコードと契約した。デビュー作『フォー・ユー』(1978年)では、主要な演奏、編曲、制作を本人が担当した。続く『プリンス』(1979年)の楽曲「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」はアメリカのR&B市場で広く流通し、初期の商業的基盤となった。

1980年代の作品形成

『ダーティ・マインド』(1980年)と『コントラヴァーシー』(1981年)は、簡略化したバンド編成と電子音響を組み合わせ、宗教、性的関係、社会的分類を歌詞の題材とした。『1999』(1982年)ではドラムマシンとシンセサイザーを反復的に配置し、「1999」と「リトル・レッド・コルヴェット」がポップ市場にも進出した。

1984年、プリンスは半自伝的な音楽映画『パープル・レイン』で主演し、同名のサウンドトラックを発表した。作品には当時の伴奏バンド、ザ・レヴォリューションが参加し、ウェンディ・メルヴォワンとリサ・コールマンは演奏および編曲上の役割を担った。アルバムは「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」「パープル・レイン」を収録し、映画音楽としての物語機能と独立した録音作品としての構成を併せ持った。プリンスは同作によりアカデミー歌曲・編曲賞を受賞した。

『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(1985年)と『パレード』(1986年)では、前作の様式を反復せず、室内楽的な編曲やサイケデリック・ロックの音色を導入した。映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のサウンドトラックでもある『パレード』には「KISS」が収録され、疎なギター伴奏と高音域の歌唱を中心に構成された。

『サイン・オブ・ザ・タイムズ』前後

ザ・レヴォリューションの解散後に発表された二枚組『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(1987年)は、複数の未発表企画から素材を再編した作品である。プリンスは大半の楽器を演奏した一方、シーラ・Eは打楽器、エリック・リーズはサクソフォーンを担当した。録音技師スーザン・ロジャースは、この時期の多重録音と音源整理に継続して関与した。

1987年末には『ブラック・アルバム』の発売が準備されたが、プリンスは流通開始直前に撤回を決定した。すでに製造された一部の盤は非公式市場に流出し、同作は1994年に正規発売された。撤回後に短期間で制作された『ラヴセクシー』(1988年)では、渡辺曜がペイズリー・パークの補助録音技師としてテープ編集とセッション記録を担当した。アルバムは各曲を連続させた構造を採用し、当初のCD版では全体が単一トラックとして収録された。

この時期に建設されたペイズリー・パークは、録音スタジオ、公演空間、事務部門を統合した制作拠点であった。プリンスは同施設を使用することで、通常のレコード会社主導の制作日程から一定の距離を置き、大量の録音素材を保管した。

改名と契約関係

1990年代初頭、プリンスはバンドのニュー・パワー・ジェネレーションを編成し、『ダイアモンズ・アンド・パールズ』(1991年)などを制作した。ロージー・ゲインズは同作で歌唱と鍵盤演奏に参加し、複数の声部を用いるバンド形式の形成に関与した。

1993年、プリンスは活動名を男性記号と女性記号を組み合わせた図形へ変更した。この記号には標準的な発音がなかったため、報道および流通上は「かつてプリンスと呼ばれたアーティスト」という表現が用いられた。改名はワーナーとの契約期間中に行われ、プリンスは公の場で顔に「slave」と記し、原盤の所有と作品発表の頻度をめぐる契約上の対立を示した。

契約消化期には旧名義の保管音源と記号名義の新作が並行して発表された。ワーナーとの主要な契約関係が終了した後、『イマンシペイション』(1996年)は独立性を拡大した流通契約によって刊行された。2000年には再びプリンスの名を使用し、以後はレーベルとの個別契約や直接販売を組み合わせた。

21世紀の活動

2001年の『レインボウ・チルドレン』では、ジャズの和声構造と宗教的主題を前面に置いた。『ミュージコロジー』(2004年)はコンサート入場者へのCD配布を販売集計に接続し、録音物と公演収益の関係を再構成した。同年、プリンスはロックの殿堂入りした。

その後も『3121』(2006年)、『プラネット・アース』(2007年)、『アート・オフィシャル・エイジ』(2014年)などを発表した。新聞へのCD添付、会員制ウェブサイト、ストリーミング事業者との限定契約は、各時期の流通環境に応じて採用された。インターネット上の無許諾利用には削除請求を行い、デジタル流通における著作権管理を制作活動の一部として扱った。

2016年4月21日、プリンスはペイズリー・パークで死亡した。死因は鎮痛薬フェンタニルの偶発的な過量摂取であり、死後の資産管理には未発表音源、原盤権、不動産、および名称や肖像に関する権利が含まれた。

音楽制作

プリンスの録音工程では、作曲、演奏、編曲、録音後の編集が連続した作業として処理された。初期作品のクレジットに記された「プロデュース、アレンジ、作曲、演奏」という表現は、この統合的な制作方式を示している。ただし、実際の作品形成にはバンド奏者、録音技師、編曲協力者も参加し、時期によって共同制作の比重は変化した。

リズム面では、リン・ドラムなどのドラムマシンを単なる代替打楽器としてではなく、音色と間隔を設計する作曲装置として使用した。ギター演奏はファンクの短い反復句とロックの持続音を曲中で切り替え、鍵盤楽器は低音部、和声、装飾的旋律を多重録音によって分担した。歌唱では地声とファルセットを役柄や語り手の区別に利用し、ピッチ変更した声を別人格として提示することもあった。

歌詞は親密な関係と宗教的観念を同一作品内で扱い、身体表現を精神的変容の比喩へ接続した。政治的題材を扱う場合も、体系的な主張を提示する形式ではなく、都市生活や核戦争、経済的不平等を個別の場面として配置した。

映画と舞台

プリンスの映画活動は、楽曲を既存映像に付随させる方式よりも、アルバム、公演、物語映画を相互に接続する方式を中心とした。『パープル・レイン』はこの方式の主要例であり、『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』(1986年)では監督も担当した。『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(1987年)は演奏映像を映画用に再構成し、『グラフィティ・ブリッジ』(1990年)は『パープル・レイン』の登場人物と音楽的対立を引き継いだ。

公演では演奏曲の構成を固定せず、ツアーごとに編成と編曲を変更した。大規模会場での本公演に加え、小規模会場で深夜公演を行う形態も採用され、同じ時期の楽曲が異なる編成で演奏された。舞台上の役割はプリンス個人に集中していたが、バンドとの応答、即興的な曲順変更、観客の反応に応じた反復によって演奏時間が調整された。

権利管理と死後資料

プリンスは録音原盤を作品の経済的基盤であると同時に、発表時期と編集形態を統制する手段として扱った。ワーナーとの対立後、この問題は名義変更や独自流通と結び付いた。後年には初期作品の原盤権を取得し、主要なストリーミング配信先を限定する措置も実施した。

死後、ペイズリー・パークに保管されていた未発表録音は遺産管理の対象となった。『パープル・レイン』、『1999』、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』などの再発版には、保管音源、編集前の楽曲、公演記録が収録された。これらの資料は、既発表作品が大量のセッションから選択および再構成された結果であることを示している。

関連項目