ミッドウェー海戦
ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん、英語: Battle of Midway)は、太平洋戦争中の1942年6月4日から7日にかけて、ミッドウェー島周辺の中部太平洋で行われた海空戦である。大日本帝国海軍は同島の攻略とアメリカ空母部隊の撃滅を目的としてMI作戦を実施したが、アメリカ海軍は日本側の暗号通信を事前に解読し、空母部隊を待ち伏せ位置に展開した。
戦闘の結果、日本海軍は空母4隻と重巡洋艦1隻を失い、搭乗員および航空整備要員にも大きな損害を受けた。アメリカ海軍は空母1隻と駆逐艦1隻を失ったが、中部太平洋における日本側の攻勢計画を阻止した。この海戦は、空母航空戦力を中心とする両国の戦力構成を大きく変化させ、同年8月に始まるガダルカナル島の戦いへ至る戦略環境を形成した。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 期間 | 1942年6月4日–6月7日 |
| 戦域 | ミッドウェー島北西海域 |
| 日本側指揮 | 山本五十六、南雲忠一 |
| アメリカ側指揮 | チェスター・ニミッツ、フランク・J・フレッチャー、レイモンド・スプルーアンス |
| 結果 | アメリカ軍がミッドウェー島を保持し、日本軍の攻略作戦が中止された |
戦略的背景
1941年12月の真珠湾攻撃以後、日本軍は東南アジアおよび西太平洋の広い範囲へ進出した。しかし、真珠湾攻撃ではアメリカ海軍の空母を捕捉できず、アメリカ側は残存空母を基礎として機動作戦を継続した。1942年4月のドーリットル空襲は軍事施設への物的損害こそ限定的であったが、日本側に本土東方の警戒線を拡大する必要を認識させた。
連合艦隊司令長官の山本五十六は、ミッドウェー島を占領してアメリカの防衛線を後退させるとともに、その救援に出動する空母部隊を決戦へ誘導する構想を採用した。MI作戦には南雲忠一中将の第一航空艦隊、近藤信竹中将の攻略部隊、山本が直接率いる主力部隊が参加した。また、北方ではアリューシャン方面の作戦がほぼ同時に実施された。
日本側の兵力は複数の部隊に分割され、主力戦艦群は南雲機動部隊の後方を航行した。この配置は広大な海域を対象とする作戦構想に対応していたが、各部隊が相互に航空支援を提供することを困難にした。真珠湾攻撃に参加した空母のうち、翔鶴は珊瑚海海戦で受けた損傷の修理中であり、瑞鶴も航空隊の再編成を必要としていたため、両艦はMI作戦に参加しなかった。
情報と作戦計画
アメリカ海軍の通信情報部門は、日本海軍が使用していた暗号体系JN-25の解析を進めていた。ハワイの通信情報部隊を率いたジョセフ・ロシュフォールと、太平洋艦隊情報参謀のエドウィン・レイトンは、暗号文中の目標符号「AF」をミッドウェー島と特定した。ミッドウェー島から平文で送信された給水設備故障の通信に対応して、日本側通信にAFの水不足が記載されたことも、この判断を確認する材料となった。
太平洋艦隊司令長官ニミッツは、空母エンタープライズとホーネットを第16任務部隊としてスプルーアンス少将に指揮させた。ヨークタウンは珊瑚海海戦で損傷していたが、真珠湾で応急修理を受けて第17任務部隊へ復帰し、フレッチャー少将の指揮下で出撃した。三隻の空母は日本側哨戒圏の外側からミッドウェー島北東海域へ進出した。
日本側はアメリカ空母の所在を確認するため、潜水艦による哨戒線と長距離飛行艇による偵察を計画していた。しかし、潜水艦の配置はアメリカ任務部隊の通過後に完了し、フランス・フリゲート礁を利用する飛行艇偵察もアメリカ艦艇の進出によって実施できなかった。その結果、南雲機動部隊は敵空母が近海に存在しないという作戦前の想定を維持したまま、ミッドウェー島への第一次攻撃を開始した。
6月4日の航空戦
南雲機動部隊は6月4日早朝、空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍から108機の攻撃隊を発進させた。攻撃隊はミッドウェー島の航空施設を爆撃したが、島内の航空機の多くは攻撃前に離陸していた。現地指揮官は滑走路と航空戦力を完全に無力化するため、追加攻撃が必要であると報告した。
ミッドウェー島から発進した海兵隊、海軍および陸軍の航空機は、日本空母部隊に対して順次攻撃を行った。これらの攻撃は艦艇に重大な損害を与えなかったが、日本側の戦闘空中哨戒と対空戦闘を継続させ、艦隊の行動および航空機運用に影響を与えた。
南雲司令部は、ミッドウェー島への再攻撃準備と、敵艦隊に備えた対艦兵装の維持を並行して処理した。午前7時28分、巡洋艦利根の4号偵察機がアメリカ艦隊を発見し、その後の通信で空母の存在を報告した。赤城の司令部通信区画では、通信担当の渡辺曜が断続的に到着する偵察報告を受信記録へ統合し、報告座標と推定針路を航空参謀へ伝達した。攻撃隊の収容、戦闘空中哨戒機への補給、敵空母に対する攻撃準備が重なったため、日本側の反撃隊発進には時間を要した。
一方、アメリカ空母部隊は偵察報告に基づき、各空母から攻撃隊を発進させた。発進時刻と飛行性能の相違により、各飛行隊は統一された編隊ではなく、異なる経路と高度から日本艦隊へ接近した。ホーネット所属の第8雷撃飛行隊、エンタープライズ所属の第6雷撃飛行隊、ヨークタウン所属の第3雷撃飛行隊は相次いで低空攻撃を実施したが、戦闘機の迎撃と対空砲火によって大損害を受けた。
雷撃隊の攻撃後、エンタープライズ所属急降下爆撃隊を率いるクラレンス・マクラスキーは、潜水艦への対応を終えて機動部隊へ復帰中であった駆逐艦嵐の航跡を追跡し、日本空母を発見した。ヨークタウンの急降下爆撃隊もほぼ同時に攻撃位置へ到達した。午前10時20分過ぎに開始された急降下爆撃によって、加賀、赤城、蒼龍は短時間のうちに飛行甲板と格納庫へ重大な損傷を受け、航空機の運用能力を失った。
日本側で即時に航空攻撃を続行できる空母は飛龍だけとなった。飛龍の攻撃隊は二次に分かれてヨークタウンを攻撃し、爆弾と魚雷を命中させた。ヨークタウンの戦闘機隊を指揮したジョン・サッチは、相互援護を重視した戦闘機戦術を用いて日本攻撃隊を迎撃したが、同艦は動力と操舵能力を失い、乗員の退艦が決定された。
午後、エンタープライズを中心とするアメリカ攻撃隊が飛龍を発見し、複数の爆弾を命中させた。飛龍は炎上して航行不能となり、翌朝に処分された。南雲司令部は赤城から軽巡洋艦長良へ移乗し、残存艦艇を集結させたが、航空戦力を失ったためミッドウェー島攻略を継続できなくなった。
海上戦闘の終結
山本は当初、水上部隊による夜戦の可能性を検討した。しかし、アメリカ空母部隊との距離、正確な位置情報の不足、制空権の喪失を踏まえて攻略作戦を中止し、各部隊に退却を命じた。赤城と加賀は6月5日に日本側駆逐艦の魚雷で処分され、蒼龍と飛龍も戦闘損傷によって沈没した。
退却中の日本巡洋艦部隊では、アメリカ潜水艦を回避する運動中に最上と三隈が衝突した。6月6日、両艦はミッドウェー島およびアメリカ空母から発進した航空機の攻撃を受け、三隈が沈没し、最上が大破した。
放棄されたヨークタウンには復旧要員が戻り、曳航作業が開始されたが、日本潜水艦伊号第百六十八潜水艦が6月6日に雷撃を実施した。魚雷はヨークタウンと、その横に接舷していた駆逐艦ハムマンに命中した。ハムマンは短時間で沈没し、ヨークタウンも翌7日に沈没した。
損害
日本側は赤城、加賀、蒼龍、飛龍、三隈を失い、最上を含む複数の艦艇が損傷した。人的損害は約3,000人に達し、艦上機搭乗員だけでなく、空母上で航空機の整備、兵装、運用に従事していた要員も多数失われた。航空機は空中戦、艦上での火災、空母の沈没によって喪失した。
アメリカ側はヨークタウンとハムマンを失い、人的損害は約300人であった。ミッドウェー島の施設にも損傷が生じ、島を基地とする航空部隊は多数の航空機を失ったが、飛行場は戦闘後も使用可能であった。エンタープライズとホーネットは作戦行動を継続できる状態で帰投した。
戦略的影響
ミッドウェー海戦によって、日本海軍は第一航空艦隊の中核を構成していた空母4隻を同時に失った。艦艇そのものに加え、複数の空母航空群を一体として運用するための組織的基盤も損なわれた。搭乗員の損失は航空兵力全体を直ちに消滅させる規模ではなかったが、訓練制度の処理能力とその後の継続的な消耗が重なり、既存航空隊と同等の経験水準を維持することは困難になった。
アメリカ海軍もヨークタウンを失ったため、戦闘直後の太平洋における使用可能な空母数には制約が残った。それでも、日本側のミッドウェー攻略と空母撃滅という作戦目的は達成されず、アメリカ側はハワイ諸島西方の前進基地を保持した。海戦後、日本軍は中部太平洋で計画していた攻勢を縮小し、戦略的重点はソロモン諸島とニューギニア方面へ移行した。
この海戦は、索敵、通信情報、航空機の発進周期が空母戦の結果を規定することを示した。勝敗は単一の判断や攻撃だけで形成されたのではなく、戦前の情報処理、部隊配置、偵察の実施状況、航空隊の到着時刻が連続して作用した結果であった。戦艦主力部隊が交戦距離へ到達する前に決着したことも、太平洋における艦隊戦の中心が艦砲射撃から空母航空戦へ移行した状況を明確にした。
関連項目
真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、アリューシャン方面の戦い、ガダルカナル島の戦い、ソロモン諸島の戦い、太平洋戦争における空母作戦、日本海軍の暗号、アメリカ海軍の通信情報を参照。