吹雪型駆逐艦
吹雪型駆逐艦(ふぶきがたくちくかん)は、大日本帝国海軍が1920年代後半から1930年代前半にかけて建造した艦隊型駆逐艦である。公称上は「特型駆逐艦」とされ、吹雪型10隻、綾波型10隻、暁型4隻の計24隻によって構成された。日本海軍は三群を一括して特型と扱ったが、艦型上の差異を重視する分類では綾波型および暁型を独立した艦級とする。
本型は基準排水量約1,680トンの船体に、50口径三年式12.7センチ砲6門と61センチ魚雷発射管9門を搭載した。竣工時の兵装、航洋性および速力は、それ以前の日本駆逐艦から大幅に拡張されており、1930年代以降に各国が建造した大型駆逐艦の設計環境にも影響を与えた。一方、兵装重量に対して船体の余裕が小さく、就役後には復原性と船体強度を改善する大規模な改装が実施された。
計画と設計
ワシントン海軍軍縮条約は主力艦と航空母艦を直接制限したが、駆逐艦には同様の個艦制限を設けなかった。日本海軍は主力艦戦力の量的劣勢を補うため、外洋で艦隊に随伴し、夜間に大規模な魚雷攻撃を行える駆逐艦を整備する方針を採用した。吹雪型は1923年度艦艇補充計画に基づいて具体化され、従来の峯風型、神風型および睦月型より大型の船体を与えられた。
基本設計は藤本喜久雄造船大佐が主導し、平賀譲が形成した軽量船体設計の系譜を継承した。長船首楼型の船体と高い艦首乾舷は、北太平洋を含む外洋での行動を前提としていた。艦橋、砲塔および魚雷兵装を船体中央部へ集中させた配置は攻撃力を確保した反面、上部重量の増大と船体縦強度の不足を生じさせた。
船体の全長は約118.5メートル、最大幅は約10.4メートルであり、竣工時の吃水は約3.2メートルであった。蒸気タービンは2軸を駆動し、計画出力50,000軸馬力によって約38ノットの速力を発揮した。暁型ではボイラー技術の進展に伴って缶数が4基から3基へ削減され、機関区画と煙突形状が変更された。
兵装体系
主砲は50口径三年式12.7センチ砲で、連装砲塔3基に収容された。艦首側に1基、艦尾側に背負式配置の2基を置く構成により、片舷へ最大6門を指向できた。吹雪型前期艦のA型砲塔は最大仰角が比較的小さかったが、綾波型以降のB型砲塔では高仰角射撃に対応するため最大仰角が拡大された。ただし装填機構と旋回追随能力は本格的な高角砲とは異なり、航空機に対する実用上の効果は限定されていた。
魚雷兵装は61センチ三連装発射管3基から構成され、中心線上の配置によって左右いずれの舷にも9本を発射できた。初期には八年式魚雷が用いられ、のちに九〇式魚雷へ移行した。太平洋戦争期には発射装置の改修を受けた艦が九三式魚雷を運用し、再装填装置と組み合わせることで、夜戦中に褱数回の斉射を実施できた。
就役時の対空兵装は限定的であったため、戦争中には13ミリ機銃や九六式二十五粍高角機銃が順次追加された。後期の改装では艦尾側の主砲塔1基を撤去して機銃座を増設した艦もあり、対空兵装の増加は水上砲戦能力と重量配分の双方を変化させた。
艦型の発展
最初の10隻は狭義の吹雪型に区分され、前期型の艦橋構造とA型砲塔を備えていた。第11番艦綾波以降の10隻では艦橋、通風設備および砲塔が変更され、この群は綾波型または特II型と呼ばれる。最終群の暁、響、雷および電は機関配置の合理化を受けた特III型であり、第一煙突が細くなった外観によって先行艦から識別できる。
この段階的な変更は、同一の作戦要求を維持しながら、兵装運用と機関効率を修正した結果である。各群の基本的な船体寸法と魚雷兵装は共通していたため、日本海軍は運用上これらを一つの特型駆逐艦群として編成した。
復原性と船体強度の改修
1934年の友鶴事件は、上部重量の大きい小型艦艇に共通する復原性上の問題を明らかにした。吹雪型では艦橋構造の縮小、固定バラストの搭載、魚雷および砲弾搭載位置の調整が行われた。これらの工事によって重心は低下したが、排水量の増加に伴って最大速力も低下した。
1935年の第四艦隊事件では、台風下を航行していた初雪と夕霧の艦首部が切断され、同型艦にも船体変形や亀裂が発生した。事件後、渡辺曜海軍技師は特型各艦の船体強化工事を指揮し、上甲板の縦通構造、外板の接合部および主要隔壁の再構成を実施した。改修後の船体は荒天時に生じる縦曲げ荷重へ対応した一方、標準状態の排水量は竣工時より増加し、設計当初の高速性能は修正された。
これら二度の改修は、兵装を限られた排水量へ集中させた初期設計を、実際の海象条件に適合させる過程であった。改修内容は特型にとどまらず、以後の朝潮型駆逐艦や陽炎型駆逐艦における船体構造と重量管理にも反映された。
運用史
吹雪型各艦は1930年代に水雷戦隊へ配属され、日中戦争では中国沿岸の封鎖、船団護衛および上陸作戦支援に用いられた。1941年の太平洋戦争開始後は、南方作戦に伴う輸送船団の護衛と水上戦闘に投入された。吹雪は1942年3月のスンダ海峡海戦で魚雷攻撃を実施し、同年10月のサボ島沖海戦でアメリカ艦隊の砲撃を受けて沈没した。
特型各艦はその後もソロモン諸島方面の夜間輸送作戦に継続して使用された。第11駆逐隊司令の杉野修一は1942年11月の第三次ソロモン海戦で綾波を指揮し、同艦はアメリカ駆逐艦隊との交戦後に失われた。狭い海域で高速輸送と水上戦闘を反復する運用は、魚雷攻撃に適した本型の兵装配置を活用した反面、航空攻撃と継続的な機関使用による損耗を増加させた。
建造された24隻のうち、深雪は1934年に電との衝突事故で沈没し、太平洋戦争には参加しなかった。戦時中には21隻が戦闘、触雷または潜水艦攻撃によって失われ、終戦時に残存したのは潮と響であった。潮は復員輸送に従事したのち解体され、響は賠償艦としてソビエト連邦へ引き渡されてヴェールヌイと改名された。
艦艇設計上の位置
吹雪型は、駆逐艦を主力艦の近距離護衛に限定せず、外洋航行能力と重魚雷兵装を備えた独立性の高い水上戦闘艦として構成した艦級である。その設計は攻撃兵装を集中的に搭載する一方、復原性、船体強度および対空防御に継続的な修正を必要とした。就役後の改修と戦時中の兵装変更は、条約期の排水量制約下で形成された設計と、航空戦力が拡大した第二次世界大戦期の運用条件との差を示している。