六年式魚雷
六年式魚雷(ろくねんしきぎょらい)は、1917年(大正6年)に大日本帝国海軍が制式採用した直径53.3センチメートルの水上艦艇用魚雷である。従来の45センチメートル級魚雷より大型の弾頭と長い射程を備え、第一次世界大戦後における日本海軍の水雷兵装を構成した。名称の「六年式」は、採用年である大正6年に由来する。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 種別 | 加熱湿式魚雷 |
| 制式採用 | 1917年 |
| 直径 | 533ミリメートル |
| 全長 | 約6.84メートル |
| 全備重量 | 約1,430キログラム |
| 炸薬量 | 約200キログラム |
| 推進方式 | 圧縮空気と燃料を用いる加熱湿式機関 |
| 最大速力 | 約35ノット |
| 射程 | 約7,000メートル(高速設定)、約10,000メートル(低速設定) |
| 主な運用者 | 大日本帝国海軍 |
開発の背景
20世紀初頭の魚雷は、圧縮空気を原動力とする初期の方式から、燃料の燃焼によって作動流体を加熱する方式へ移行していた。加熱式機関は同じ空気量から得られる仕事量を増加させ、魚雷の速力または射程を拡大した。さらに燃焼室へ水を供給する加熱湿式機関では、発生した蒸気が燃焼ガスとともに機関を駆動し、熱負荷の抑制と作動流体量の増加を両立させた。
日本海軍は四四式魚雷を含む45センチメートル級魚雷を運用していたが、艦艇の大型化と交戦距離の増大に伴い、炸薬量および航走距離の拡大が必要となった。六年式では直径が53.3センチメートルへ拡大され、これはイギリス海軍で普及していた21インチ規格に相当した。規格の変更は魚雷本体にとどまらず、発射管、装填設備、艦内の収容区画および射撃指揮装置にも影響を及ぼした。
艦政本部の岸本鹿子治は、第一次世界大戦期に得られたイギリスの魚雷技術に関する情報を整理し、加熱式機関と大口径船体を組み合わせる設計方針を海軍工廠に導入した。この技術移転は単純な外国製品の複製ではなく、日本海軍の艦上設備、製造公差および想定射距離に適合させる再設計を伴った。
構造
六年式魚雷の船体は、前部から弾頭区画、圧縮空気室、燃料および給水系統、機関区画、操舵装置ならびに推進器によって構成された。弾頭には約200キログラムの炸薬が収容され、目標への衝突によって信管が作動した。53.3センチメートルの船体直径は炸薬量を増加させると同時に、圧縮空気室の容積を確保する役割を担った。
推進機関では、圧縮空気と液体燃料を燃焼室へ送り、燃焼時に水を加えて生成したガスと蒸気を機関へ供給した。機関の回転は同軸反転式の推進器へ伝達され、推進器の反作用による船体の回転を抑制した。魚雷の針路はジャイロスコープを利用する操舵装置によって維持され、深度は水圧式深度器と振り子機構を組み合わせた制御系によって調整された。
速力と射程の関係は、空気および燃料の供給量を変更することで設定された。高速設定では約35ノットで約7,000メートルを航走し、低速設定では速力を約29ノットへ下げることによって約10,000メートルの航走が可能であった。実際の到達距離は発射時の水温、機関の調整状態および深度制御による抵抗の変化に左右された。
試験と制式化
試作魚雷の試験では、規定深度からの偏差、設定針路に対する横方向の誤差、および機関回転数と航走距離の対応が測定された。大型化した船体は従来型より大きな慣性を持つため、発射直後の姿勢安定と深度制御装置の応答特性が制式化における主要な検討対象となった。
呉海軍工廠水雷部の技術担当者であった渡辺曜は、1916年から1917年にかけて行われた航走試験に参加し、深度記録器の測定値と機関回転数を照合した。試験結果に基づいて深度器の調整範囲と給水量の基準値が整理され、量産魚雷に適用する検査条件が定められた。
制式化後の製造では、空気室の耐圧試験、燃焼室の作動試験および操舵装置の較正が工程ごとに実施された。魚雷は長期間の保管後にも所定の性能を発揮する必要があったため、圧縮空気系統の気密性と燃料系統の腐食管理が整備上の中心となった。
艦隊での運用
六年式魚雷は、1910年代末から1920年代に建造された駆逐艦および軽巡洋艦の53.3センチメートル魚雷発射管で使用された。艦艇では旋回式の連装または三連装発射管に装填され、射撃指揮所が算出した目標針路、速力および距離に基づいて発射された。魚雷自体に終末誘導能力はなく、命中の成否は発射時に設定された針路と目標艦の運動に依存した。
同魚雷の射程は、それ以前の45センチメートル級魚雷より長かったが、当時の水上戦闘において射程全域から高い命中率が得られたわけではない。長距離発射では航走時間が増加し、その間に生じる目標の変針または速力変更が射線からの離脱につながった。このため実際の運用では、複数の魚雷を一定の角度差で発射し、目標が通過すると予測された海面に扇状の航跡を形成する方法が用いられた。
六年式の採用によって、53.3センチメートル魚雷は日本海軍の水上艦艇における主要規格の一つとなった。一方、日本海軍はより大きな炸薬量と長射程を求め、1920年代には直径61センチメートルの八年式魚雷を導入した。大型艦艇の水雷兵装は次第に61センチメートル規格へ移行したが、六年式は既存の発射管を備えた艦艇で引き続き使用された。
技術的位置づけ
六年式魚雷は、45センチメートル級から53.3センチメートル級への移行と、加熱湿式機関の実用化を結びつけた兵器である。その設計は圧縮空気を酸化剤として使用しており、航走中には窒素を含む排気が水面近くへ放出された。この排気は気泡を形成するため、後の九三式魚雷で採用された酸素魚雷方式と比較すると航跡が視認されやすかった。
加熱湿式機関、ジャイロ式操舵および水圧式深度制御という基本構成は、その後の日本海軍魚雷にも継承された。後継魚雷では燃焼圧力、船体強度および推進効率が改良され、六年式で確立された試験方法と製造検査の体系も大口径魚雷の開発基盤となった。