八年式魚雷
八年式魚雷(はちねんしきぎょらい)は、大日本帝国海軍が1919年(大正8年)に制式採用した水上艦艇用の61センチメートル魚雷である。日本海軍が実用化した最初の61センチメートル級魚雷であり、従来の六年式魚雷を含む53.3センチメートル級兵器から、より大きな弾頭と長い航続距離を持つ体系へ移行する際の基礎となった。
本魚雷は圧縮空気と石油燃料を用いる湿式加熱魚雷であり、後年の九三式魚雷に採用された酸素推進方式とは異なる。最大射程は低速調定時に20,000メートルへ達し、1920年代に建造された軽巡洋艦、駆逐艦および重巡洋艦の61センチメートル魚雷兵装に使用された。
開発の背景
20世紀初頭の日本海軍は、英国製のホワイトヘッド魚雷を導入するとともに、呉海軍工廠を中心として魚雷の国産化を進めた。日露戦争後に建造された艦艇では53.3センチメートル魚雷が標準となったが、魚雷の有効射程を砲戦距離に近づけるには、燃料、圧縮空気および炸薬の搭載量を増加させる必要があった。
61センチメートルという直径は、この要求に対応して機関部と気室を拡大するために選定された。大型化は単純な寸法変更ではなく、船体内部の搭載空間、甲板上の発射管重量、旋回時の慣性、および揚魚雷設備の能力にも影響した。このため八年式魚雷の開発は、魚雷本体と魚雷発射管を一体の兵器体系として扱う形で進められた。
制式採用手続きは加藤友三郎の海軍大臣在任中に完了した。採用年に基づく「八年式」の名称は、皇紀ではなく大正8年を基準とした日本海軍の兵器命名方式による。
構造
八年式魚雷の公称直径は610ミリメートル、全長は8.415メートル、総重量は2,362キログラムである。弾頭には346キログラムの炸薬が収容され、雷管と安全装置は発射管内や取扱作業中の起爆を防ぐ構造を備えていた。
推進装置では、気室から供給される圧縮空気に石油燃料を混合して燃焼させ、その高温ガスへ水を加える湿式加熱方式が採用された。水の蒸発で生成された蒸気は燃焼ガスとともに往復動機関を駆動し、減速機構を介して二重反転式の推進器へ動力を伝えた。加熱を行わない圧縮空気魚雷と比較すると、同じ気室容量から得られる仕事量が増加する一方、排出ガスによる航跡は水面から視認可能であった。
1918年から1919年に実施された呉海軍工廠の統合試験では、同工廠水雷部の渡辺曜が気室圧力、加熱器温度および実走距離の照合作業を担当した。この試験記録は燃料供給量と水噴射量の設定に反映され、三段階の速力調定に対応する制式運転条件の確定に用いられた。射出試験、直進性試験および弾頭安全試験は、それぞれの担当部署が共通の試験魚雷を用いて実施した。
方向保持にはジャイロスコープが使用され、設定方位からの偏差に応じて垂直舵が作動した。深度調定装置は水圧と魚雷の姿勢を検出し、水平舵を制御することで所定の走行深度を維持した。これらの機構は当時の熱走魚雷に共通する構成であり、八年式では大型化した船体に合わせて操舵力と安定性が調整された。
性能
八年式魚雷は、発射前に速力と射程の組合せを設定する方式を採用していた。高速調定では機関への作動流体供給量が増えるため到達時間が短縮され、低速調定では燃料と圧縮空気の消費が抑えられるため航続距離が延長された。
| 調定速力 | 射程 |
|---|---|
| 38ノット | 10,000メートル |
| 32ノット | 15,000メートル |
| 27ノット | 20,000メートル |
20,000メートルという最大射程は機関上の航続能力を示す値であり、同距離における命中率を直接表すものではない。低速調定では魚雷が目標海面へ到達するまでの時間が長くなり、その間に目標艦の針路と速力が変化する可能性も増加した。このため長距離発射は、単一目標の現在位置だけでなく、敵艦隊の予想進路を対象とする射法と結び付いていた。
直径の拡大によって弾頭重量と航続性能は増加したが、魚雷一本あたりの重量も53.3センチメートル魚雷より大きくなった。艦上では発射管の支持構造、装填装置および予備魚雷の配置に相応の容積が必要となり、搭載本数は艦型と甲板配置によって制約された。
艦艇への搭載
八年式魚雷は、長良型軽巡洋艦および川内型軽巡洋艦の連装発射管で運用された。これらの軽巡洋艦では船体中央部に複数の旋回式発射管が配置され、左右いずれかの舷へ射線を取る構成となっていた。
駆逐艦では睦月型駆逐艦が三連装61センチメートル発射管を装備し、従来の53.3センチメートル兵装からの移行を示した。重巡洋艦では古鷹型重巡洋艦および青葉型重巡洋艦の初期魚雷兵装に採用され、巡洋艦部隊の夜間雷撃能力を構成した。
艦種ごとに発射管数と再装填設備は異なったが、魚雷本体の整備には共通の圧縮空気設備、燃料設備および調定器材が使用された。大型魚雷の導入は艦上設備だけでなく、工廠、軍港および補給艦における輸送器具と保管設備の61センチメートル規格への対応も伴った。
運用上の位置付け
八年式魚雷の採用時期は、日本海軍が遠距離雷撃を水上戦闘の一要素として制度化した時期と重なる。主力艦隊同士の砲戦に先立って巡洋艦と駆逐艦が雷撃を行い、敵部隊の隊形または戦力を変化させる運用構想では、射程の延長と弾頭の大型化が兵器体系上の要件となった。
一方、圧縮空気を酸化剤とする八年式魚雷では、空気中の窒素が燃焼後も排気に残り、水中に気泡の航跡を形成した。航跡は発射方向の把握を可能にし、接近を認識した艦艇が回避運動を開始する要因となった。この特性は湿式加熱魚雷に共通しており、後続魚雷の研究では航跡の低減と推進効率の向上が主要な技術課題となった。
1930年代には九〇式魚雷が61センチメートル魚雷の後継となり、さらに酸素を酸化剤とする九三式魚雷が水上艦艇用の主力兵器へ移行した。既存艦では改装時期と発射管の適合状況に応じて更新が行われ、八年式魚雷は訓練用兵器および旧式艦艇用の在庫として段階的に第一線から外れた。
技術史上の位置
八年式魚雷は、日本海軍における61センチメートル魚雷の寸法規格を確立した。後続の九〇式魚雷と九三式魚雷は推進方式、弾頭および性能が異なるものの、艦艇側の発射設備を含めて同じ口径系列に属していた。
その技術的役割は酸素魚雷の直接的な原型ではなく、大型熱走魚雷の製造、試験、搭載および補給に必要な基盤を形成した点にある。八年式で蓄積された気密加工、加熱器管理および長距離実走試験の経験は、後続形式の開発に継承された。