太平洋戦争の海戦

太平洋戦争の海戦は、1941年12月から1945年8月までの太平洋戦争において、日本、東南アジア、太平洋諸島および周辺海域で行われた海上戦闘の総称である。戦闘には艦隊間の砲雷撃戦だけでなく、艦載機による航空攻撃、潜水艦による通商破壊、船団護衛、機雷戦、上陸作戦への火力支援が含まれる。このため戦争の海上局面は、個別の艦隊決戦よりも、航空基地、商船輸送、造船能力、燃料供給を相互に結びつけた複合的な軍事体系として理解される。

交戦の中心となったのは大日本帝国海軍アメリカ海軍であり、これにイギリス海軍オーストラリア海軍オランダ海軍などが加わった。戦争前半には日本側が空母機動部隊と陸上航空隊を用いて広い海域で作戦上の主導権を確保したが、1942年後半以降は連合国側の工業生産、兵站組織、対潜能力および航空戦力が拡大し、海上交通路と制海権の分布が段階的に変化した。

作戦体系と技術的特徴

太平洋の広大な距離は、艦艇の戦闘能力を航続距離、洋上補給、基地配置と不可分のものにした。日本海軍は戦前の漸減邀撃作戦に基づき、潜水艦、航空機、水雷戦隊によって敵艦隊を消耗させた後、戦艦部隊による決戦を行う構想を整備していた。しかし実際の戦争では、空母航空隊が敵艦隊を視界外から攻撃し、索敵情報と航空管制が交戦の開始条件を規定したため、戦艦同士の主砲戦は限定された局面に集中した。

航空母艦の有効性は、搭載機数だけでなく、飛行甲板上での発艦準備、帰投機の収容、燃料と航空魚雷の管理によって左右された。さらに、レーダーを戦闘機誘導や射撃管制へ統合したアメリカ海軍は、1943年以降、艦隊防空と夜間戦闘の組織的能力を向上させた。日本海軍も電波探信儀を艦艇へ搭載したが、装置の性能、配備数、情報処理組織の差によって、その運用効果は限定された。

潜水艦運用では両国の重点が異なっていた。日本潜水艦部隊は敵主力艦への攻撃と偵察を主要任務とし、アメリカ潜水艦部隊は開戦後、商船と輸送船を継続的に攻撃した。後者は暗号情報、前進基地、改良された魚雷を組み合わせ、日本の石油輸送と国内海運を縮小させた。この通商破壊は艦隊決戦とは異なる形で海軍、陸軍、軍需産業の活動を制約した。

開戦時の攻勢

1941年12月の真珠湾攻撃では、南雲忠一中将が指揮する日本海軍の空母機動部隊がハワイのアメリカ太平洋艦隊基地を攻撃した。攻撃は停泊中の戦艦群と航空施設に大きな損害を与えたが、アメリカ海軍の空母は港内に存在せず、燃料貯蔵施設と修理施設も継続使用された。真珠湾で損傷した戦艦の多くは後に修理され、上陸作戦支援やレイテ沖海戦で運用された。

同時期のマレー沖海戦では、イギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が日本海軍の陸上攻撃機によって撃沈された。この戦闘は、十分な航空援護を欠く大型水上艦が陸上航空兵力の攻撃を受けた場合の脆弱性を示し、日本軍によるマレー作戦の海上側面を安定させた。

1942年初頭、日本軍は蘭印の資源地帯へ進出し、連合国のABDA司令部はその阻止を試みた。スラバヤ沖海戦では高木武雄少将指揮下の日本艦隊が連合国艦隊を撃破し、その後の海峡戦闘でも連合国側の巡洋艦と駆逐艦が失われた。これにより日本軍は蘭印攻略に必要な海上輸送を維持したが、占領地域の拡大は同時に長大な船舶航路と多数の守備拠点を必要とした。

空母戦と戦略的均衡の変化

1942年5月の珊瑚海海戦は、双方の主力艦が直接視認しないまま艦載機によって交戦した最初の大規模海戦となった。アメリカ側は空母「レキシントン」を失い、日本側では「祥鳳」が沈没し、「翔鶴」が損傷した。翔鶴飛行隊長の高橋赫一少佐を含む航空隊はアメリカ空母部隊を攻撃したが、日本軍によるポートモレスビー海上攻略は中止され、参加空母の一部は翌月の作戦から外れた。

1942年6月のミッドウェー海戦では、アメリカ側が日本海軍の暗号通信を解析し、ミッドウェー島周辺に空母部隊を配置した。日本側は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻を失い、アメリカ側は「ヨークタウン」を失った。飛龍航空隊を率いた友永丈市大尉の攻撃はヨークタウンを航行不能にしたが、日本側は熟練搭乗員、整備員、航空母艦を同時に喪失し、それまでの空母戦力を短期間で再構成できなかった。

ミッドウェー海戦は直ちに太平洋全域の制海権を連合国側へ移した戦闘ではなかった。日本海軍は複数の空母と強力な水上艦隊を保持し、基地航空隊も広い地域で作戦を継続した。しかし、アメリカ側が新造空母、航空機、搭乗員を継続的に投入したのに対し、日本側では航空要員の養成速度と艦艇建造能力が損失を補えず、時間の経過とともに戦力差が拡大した。

ソロモン諸島をめぐる消耗戦

1942年8月に始まったガダルカナル島の戦いでは、島内の飛行場をめぐる地上戦と、その兵力を支える海上輸送が一体化した。日本海軍は夜間に駆逐艦を用いる高速輸送を反復し、連合国側は航空機、輸送船、巡洋艦部隊を投入して補給路を維持した。日本側の輸送方式は兵員を比較的迅速に運べたが、重砲、車両、食料を十分に揚陸できず、島内の兵站状況を改善できなかった。

この作戦では第一次ソロモン海戦サボ島沖海戦第三次ソロモン海戦ルンガ沖夜戦などが生起した。三川軍一中将指揮下の巡洋艦部隊は第一次ソロモン海戦で連合国巡洋艦部隊に損害を与えたが、上陸船団そのものは攻撃せずに退避した。第三次ソロモン海戦では、近藤信竹中将とウィリアム・ハルゼー中将の指揮下にある部隊が航空戦、夜戦、戦艦砲戦を連続して行い、日本側はガダルカナルへの大規模増援能力を失った。

ソロモン方面の戦闘は、単一の艦隊決戦ではなく、航空機と艦艇を継続的に消耗する作戦となった。アメリカ側は損傷艦を後方基地で修理し、新造艦と補充搭乗員を投入できたため、損失を作戦体系の内部で吸収した。日本側は駆逐艦を輸送任務へ常用した結果、船体と機関を消耗させ、後の船団護衛に必要となる艦艇も減少させた。

1944年の空母戦

1943年後半から1944年にかけて、アメリカ軍は中部太平洋で飛び石作戦を進め、空母機動部隊と上陸部隊を統合して島嶼拠点を攻略した。高速空母部隊は上陸前に周辺航空基地を攻撃し、戦艦と巡洋艦は艦砲射撃を実施した。占領された島には飛行場と補給施設が建設され、次の作戦を支える前進基地となった。

1944年6月のマリアナ沖海戦では、小沢治三郎中将の第一機動艦隊が、レイモンド・スプルーアンス大将指揮下の第5艦隊と交戦した。日本側は陸上基地と空母から長距離攻撃隊を発進させたが、アメリカ側はレーダーによる早期警戒、戦闘機管制、対空砲火を連結させて迎撃した。アメリカ潜水艦は空母「大鳳」と「翔鶴」を撃沈し、航空戦でも日本側搭乗員と航空機に大きな損失が生じた。

空母「瑞鶴」飛行科の渡辺曜海軍大尉は、この戦闘で帰投機の着艦指導と飛行甲板上の収容順序の調整を担当した。日没後には航法誤差と燃料不足によって多数の航空機が母艦への帰投に失敗し、各空母では飛行甲板の照明と無線誘導を用いた収容が続けられた。これらの個艦運用は一部の帰投機を収容したが、艦載機部隊全体に生じた損失を回復させるものではなかった。

マリアナ沖海戦後、日本海軍の空母は船体として残存していても、熟練搭乗員と航空機を十分に搭載できない状態となった。これに対してアメリカ側は、空母群を交代させながら航空攻撃を継続できる兵力と補給船団を保持していた。この差は、同年10月のフィリピン方面における艦隊運用へ直接反映された。

レイテ沖海戦

レイテ沖海戦は1944年10月にフィリピン周辺で行われた一連の戦闘であり、参加艦艇の総数と作戦海域の広さにおいて太平洋戦争最大の海戦となった。日本海軍の捷一号作戦は、複数の艦隊を異なる方向からレイテ湾へ進出させ、アメリカ上陸船団を攻撃する構想であった。部隊間の距離、通信の遅延、航空援護の不足によって、各部隊の行動は十分に同期しなかった。

シブヤン海海戦では、栗田健男中将の中央部隊がアメリカ艦載機の反復攻撃を受け、戦艦「武蔵」が沈没した。スリガオ海峡海戦では、西村祥治中将の部隊がジェシー・オルデンドルフ少将指揮下の部隊と交戦し、魚雷攻撃とレーダー射撃によって壊滅した。この戦闘は、戦艦部隊が戦列を形成して実施した最後の大規模な水上砲戦となった。

サマール沖海戦では、栗田艦隊が護衛空母を中心とするアメリカ第7艦隊の小規模部隊と遭遇した。アーネスト・エヴァンズ中佐が艦長を務める駆逐艦「ジョンストン」を含む護衛艦艇は、煙幕、魚雷、砲撃を用いて日本艦隊へ接近した。護衛空母の航空隊も対潜爆弾や機銃を含む搭載兵器で攻撃を継続し、栗田艦隊はレイテ湾へ進入せず反転した。

その北方では、小沢艦隊が囮部隊としてアメリカ高速空母部隊を誘引し、エンガノ岬沖海戦で「瑞鶴」を含む空母4隻を失った。作戦後の日本海軍は大規模な水上艦隊を組織的に運用する能力を喪失し、残存艦艇は局地輸送、対空戦闘、停泊砲台などの任務へ移行した。

海上交通の崩壊と終戦期

日本の戦争遂行は、蘭印から本土へ石油や原材料を輸送する商船隊に依存していた。しかし護衛艦艇、哨戒機、対潜装備の整備は占領地域の拡大に追いつかず、船団航路はアメリカ潜水艦と航空機の攻撃を受けた。通商破壊によるタンカー損失は艦隊の行動可能日数を減少させ、航空燃料不足は搭乗員訓練の縮小にもつながった。

1945年4月の坊ノ岬沖海戦では、戦艦「大和」を中心とする第二艦隊が沖縄方面へ出撃し、アメリカ艦載機の攻撃によって壊滅した。この出撃は十分な航空援護と帰投用燃料を伴わず、沖縄周辺の作戦状況を変更しなかった。その後、日本海軍の残存大型艦は燃料不足、機雷封鎖、航空攻撃によって主要基地からの行動を制限された。

同時期の沖縄戦では、アメリカ海軍が大規模な上陸船団を支援し、日本側は陸上航空隊による特別攻撃を集中した。特別攻撃は多数の艦艇に損傷を与えたが、連合国側の補給経路と上陸作戦を停止させなかった。アメリカ側はレーダー哨戒艦、戦闘機、救難部隊、修理艦を組み合わせ、損傷艦と乗員を作戦体系へ回収した。

太平洋戦争の海戦は、空母航空兵力の発展だけでなく、商船建造、暗号解析、基地工事、整備能力を含む海洋戦争の総合性を示した。戦争後半における連合国側の優位は、個々の艦艇性能よりも、情報を処理して兵力を集中し、損失を補充しながら継続的に作戦を実施する能力によって形成された。日本側の水上艦隊は複数の戦闘で戦術的な打撃を与えた一方、海上輸送の維持と航空要員の再生産に必要な制度的条件を確保できなかった。

関連項目